弱者という皮をかぶり他者の利益を貪ろうとすることはイケない
こんにちは、イケダユウトです。
タイトルの通りです。
今回は社会のテーマです。
↑のピピピピピさんの記事を読んで、最近は弱者というものが横行しているな~って感じたので書こうと思います。
弱者は救わなければイケないという考え
弱者は救わなければイケないという考えって当たり前なんですかね?
弱者は救えるなら救いたいけど、全員を救えるわけではない。
しかも、最近は弱者弱者弱者と弱者が強調されている気がする。
無能で可能性のない弱者は仕方ない
無能で可能性のない弱者は残念ながら仕方ない、淘汰されてしまうしかないと思う。
自然ってそういうものだと僕は思う。
ほぼすべての動物って弱肉強食優勝劣敗の世界にいる。
食うか食われるかだ。
人間の世界は殺すか殺されるかという殺伐した世界ではないが、小さい不平不満が積み重なって弱者というものが生まれているのだと思う。
無能な弱者が救われて何かいいことがあるか?
無能な弱者を救って何か良いことってあるの?
せいぜい弱者が暴れるとめんどうなので仕方なく救うってことぐらいしか救う理由ってないと思う。
可能性も生産性もないただの穀潰ししかできないというのは救いようがない。
そういう人は淘汰されても仕方がない。
この世界はみんなが平等で自由で尊重される世界ではない。
そういう世界は天国ってところ。
この世界は天国ではない。
プラスの価値を提供できる者が生き残る
結局はプラスの価値を提供できる者が生き残る。
何もプラスの価値を提供できない者が生きることができるほどこの世界は優しくない。
何もプラスの価値を提供できない弱者を救ってもただのマイナスでしかない。
弱者という皮をかぶり、恵んでもらうことに慣れてはイケない
弱者という皮をかぶり、恵んでもらうことは楽だ。
しかし、何もしないで自分は弱者だと言い、恵んでもらうことは怠惰だ。
自分で状況を改善することを放棄している。
そんな人は救われるべきでなく、淘汰されるべきだと思う。
たとえ、どんなに不利な状況でも戦って欲しい
たとえ、つらい状況でもどんなに不利でも改善することを放棄しないで欲しい。
改善することを放棄することは人間をやめることと同じだ。
弱者という身分で甘えるのではなく、強者を目指して改善するべきだと僕は思う。
改善をする者は輝く
↑のブログのうさぎたんは無職で貧乏人と自称している。
だけど、うさぎたんは弱者という身分で甘えることはなく、必死で何かをして改善しようとしている。
こういう生き方をしている人は素晴らしいと思う。
弱者というものに甘えるのは簡単だ。
だけど、そういう人って魅力的ではないし、価値があるとは思えない。
うさぎたんのようにつらい状況でも改善しようともがいている人は僕には魅力的でパワーが溢れているように思えるし、見える。
まとめ
書いていて何が言いたいかよく伝わっていないかもしれないからまとめる。
・無能で可能性のない弱者は淘汰されても仕方ない。
・弱者という皮をかぶり、恵んでもらおうとする人は怠惰である。
・弱者という身分に甘えるのではなく、改善して、もがく人間は輝く。
言いたいことはこの3つ。
アへ顔ダブルピースになって快楽中毒になる記事ではないけど、伝えたいことだったので書きました。
以上。