自分のことなんて誰も見てないから気にすんな!
こんにちは、イケダユウトです。
タイトルの通りです。
人の目気にしてる人多くない?
なんか人にどう見られているとかどう思われるとかそういうこと考えてる人って多い気がする。
有名人でも特に目立つこともないくせに気にしている人はなんなのだろうか?
ただの自意識過剰である。
所詮、人間なんて99%自分のことしか考えていないのだから気にしなくても誰も気にしていない。
その証拠が人の目を気にするということである。
自分のことばかり気にしているから誰かにどう見られるか気にしているのであって、完全に自分のことしか考えていないのである。
人間の行動の98%は自分のための行動であり、自分の利益のためである。
ゆえに、他人のことを考えている他人主義者は稀な存在なのである。
人のためとか言っている人も結局は自分のことばかり考えているんだよ。
偽善者だとか批判する人がいるけれど、ほぼ全員偽善者だから。
ほとんどの行いは偽善なんだよ。
偽善でもいいじゃないか。
行い自体は善なのだから。
真の善意とか偽善とかはもはやどうでもいいことであって、親切にされたらありがとうでいいんだよ。
偽善とか真の善意そんなめんどいこと考えるのはムダ。
自分のことしか考えてないからそんなことを考えるのである。
偽善じゃやだ、100%の善意じゃなきゃ自分は嫌という自己中心的な考えから偽善というものが気になってしまうのである。
すべてのことは自己中心的なことで始まる
あらゆる行動、考えなどはすべて自分のためと言ってもいい。
どれだけ他人のことを考えていると言っても、その裏には自分のため、自分の利益というものがある。
そもそも自分が存在しなければ、この世界を認識することもできないのだから、世界は自分を中心にまわっていると思うのも無理はない。
自分がいなければそもそも認識すら出来ないのだから、自分がいなくなれば世界もなくなるという考えは不思議ではない。
ただ、自分を中心に世界がまわっているというのは自分の中での話しであって、他人には関係のないことである。
純度100%の客観視は不可能
ここで、自己中心的な見方はやめて客観的に見れば何か変わるのかもしれない。
しかし、純度100%の客観的な認識というのは不可能である。
客観的に見る前に、自分というフィルターが存在している。
自分というフィルターがなければ見ること自体できない。
だから、いくら客観的に見ることに努めても、それは本当の客観的真実とはほど遠いものなのだ。
自分という濁ったフィルターを通すことを避けることはできない。
ゆえに、純度100%の客観的世界が目の前に存在していても、濁ったフィルターを通すことを避けることはできず、濁った客観的世界を見ることしかできない。
濁ったフィルターがどのように、どれほど濁っているかは人の数だけあるので、同じフィルターを持った人間としか価値を共有することはできないのだ。
すべてが正しく、すべてが間違っている
自分のことを他の人はこう思っているというのは自分から見れば正しいのかもしれないが、他人からすれば間違っているのである。
ゆえに、すべてが正しいとも言えるし、すべてが間違っているとも言えるのである。
自分のことを見ている人は自分にとってヤバい人
自分のことを見ている人なんて誰もいないという感じでここまで書いたけど、中には自分のことを凝視している人がいる可能性は否定できない。
しかし、自分のことを見ているのは親とかストーカーくらいである。
親が自分を見ることは当たり前だし、特になにもない。
しかし、親でもない他人が自分を見ているのだとしたら、それは危険なのかもしれない。
代表的なものとしてストーカーがある。
他人のくせにずっと自分のことを見ている人間。
こいつはヤバい。
ストーカーはストーカーしている人のことばかり考えていると思われがちだが、結局は自分の欲を満たしたいだけなのである。
ストーカー対象を幸せにしたいなんてこれっぽっちも考えていない。
自分のことを見ているとしても、それはただ単に自分を利用して自分の欲を満たそうとして認識しているだけなのだ。
だから、ストーカーも自分のことしか考えていない。
ここまでいろいろ書いたけれど・・・
ここまでたくさん書いたけど、話がだんだん複雑に脱線している気がする。
僕が伝えたいことは人間なんて99%自分のことしか考えていないから気にすんなということ。
人の目なんて気にしないでのびのびと生きればいいと感じる。
ただの自意識過剰なのだから。
以上。