「格差」がなぜ問題なのかは自分よりも恵まれている人がいると嫉妬するから
こんにちは、イケダユウトです。
言いたいことはタイトルの通りです。
なぜ格差が問題なのかは自分より恵まれていたり、豊かな人がいるからだと僕は思う。
自分よりも幸せな人間は許せない
自分よりも幸せな人間がいると嫉妬するよね、それと一緒。
あいつは俺よりもカネを持っている!そんなのずるいぞ!!!って感じ。
格差があるのはもう当たり前というか自然なことであり、それを改善したところで人類が豊かになれるかはわからない。
格差改善しても差はなくならないよ?
イケメンとブサイク、美人とブスも格差じゃないか?
それも全部改善しないと格差なんてなくならないと考えてる。
カネを平等に分配しても格差がなくなるわけじゃないんだ。
それに、格差格差とぐだぐだ言っているけど、だからどうすんだよって感じ。
共産主義でも社会主義でもやるとでも言うのだろうか?
第二次世界大戦後の世界を見ればわかるが、それらは駆逐された。
わずかに残っているそれらの国々は良い国とは言えない。
そう、勝ったのは資本主義なのだ。
そして、僕たちがいる世界は資本主義。
カネを稼ぐしかない
カネの格差をなくすのはほぼ不可能だと感じる。
格差だ!格差だ!と言っていてもただの負け犬のワンワンにしか聞こえない。
ワンワンしている暇があったら、身体動かして、頭動かしてカネを稼ごう。
そっちの方が良いよ。
嫉妬しないように訓練しよう
格差が問題なのは自分よりも恵まれていて豊かで幸せな人がいるからである。
しかし、その人たちが悪いのではない。
むしろ、我々人類が目指すべきモデルとして存在しているのである。
嫉妬して自分よりも恵まれている人間の足を引っ張る行為は人類の目指すより良い社会を妨害する行為だと言ってもいい。
幸せな人を不幸に陥れて喜ぶことは良いことだとは思えない。
素直に幸せで自分も幸せというように他人の幸せを自分とも共有し、祝福できる精神を構築することが最善である。
そのために訓練する必要がある。
他人が幸せならそれでいいし、自分が幸せならそれでいい。
わざわざ、マイナスへと向かう必要なんてない。
僕は人生なんて適当に自分のやりたいように好きに生きればいいと考えている。
もちろん、他人の権利や自由、安全などを脅かす行為はなし。
自分の権利や自由の範囲で好きに生きればいいと考えている。
そして、他人のことは俯瞰すればいい。
ああ、幸せそうだなって俯瞰すればいい。
わざわざ嫉妬する必要なんてない。
ただただ俯瞰すればいいのだ。
健全な精神は健全な肉体に宿る
健全な精神を構築するためにはまず、土台となる肉体を鍛えるなどして健全なものとして維持する必要がある。
食や運動、習慣などに気をつけて健全な肉体を構築しよう。
健全な精神を構築する方法は、素晴らしい人間ならどう思い、どうするだろうかと考え、その考えに基づき、思考し、行動すればOK。
精神を鍛えるために参考になるサイト↓
こちらのサイトは僕がよく見ているサイトです。
精神を鍛えるための方法など参考になる。
格差は心の問題
格差があるからなんなんだと考えたら、原因は心だと思う。
心に問題があるから問題が生まれてくるのだと思う。
健全な心、精神を構築するために日々の生活で鍛えよう。
嫉妬というのは自分よりも恵まれている人に湧く。
それは考え方を変えればプラスになる。
嫉妬するということはそれだけ恵まれている人がいるということ。
嫉妬する数だけ自分よりも恵まれている人がいる。
それは良いことだ。
嫉妬しないということは自分よりも恵まれている人がいないということ。
つまり、人類は進歩していないということだ。
嫉妬するたびに人類は進歩しているのだ。
嫉妬とは進歩なのである。